39歳、うつでブランク3年半――それでも社会復帰できた話

はじめに

こんにちは。39歳の “ぶきお” と申します。

2021 年の春、仕事のストレスから うつ を発症し会社を休職しました。その後、復職に挑戦するも失敗し、37 歳で“初めての無職”を経験。就労支援事務所に通いながら転職活動を続け、2024 年の秋、ようやく正社員として社会に戻ることができました。

職場を離れていた期間は 1,230 日。長い空白でしたが、今振り返ると、あの時間は自分と真剣に向き合い、立て直すために欠かせない時間だったと感じています。

この連載では、その3年半を 時系列で少しずつ 綴ります。

  • 仕事が辛くて休職しようか迷っている
  • 現在休職中で、この先どう動くか決めかねている

そんな方の心がほんの少しでも軽くなれば幸いです。
正解を示すものではなく、ひとつのルートとして読んでいただければ嬉しいです。


第1章 休職を決断するまで

1‑1 “期待”と“恐れ”に挟まれて

いわゆる F ランと呼ばれる大学を指定校推薦で卒業した私は、「大きな企業に入りたい」という一心で就職活動に打ち込み、幸運にも業界では名の知れた企業に入社しました。

入社から約 13 年間、とにかく必死に働きました。重要なタスクを任され、周囲からの信頼も感じていましたが、その期待に応えようと自分を追い込み続けてもいました。複数プロジェクトを抱え、どれか一つでもトラブルが起きればすべてが崩れる――そんな危うい状態を自覚しながらも、走り続けていました。

1‑2 思考が分散しはじめた日

とうとう“その時”が来て、頭はオーバーフロー状態に陥りました。資料を作っていても別案件の問題が頭をよぎり、目の前の仕事に集中で着ない状態に。集中力は細切れになり、作業スピードは新入社員より遅いと感じるほどに低下。次第に上司の表情が曇るのを見て恐怖心が生まれ、心拍だけが上がり、さらに手が止まる――典型的な負のスパイラルでした。

1‑3 医務室”甘え”という自己嫌悪

体調悪化を看護師に相談すると「まず身体を調べましょう」と勧められ、近くの総合病院で精密な血液検査を受けました。しかし結果は異常なし。紹介状を持って訪ねた精神科でも「特に問題は見当たりませんね」と言われ、胸に残ったのは安心ではなく**“やっぱり甘えなんだ”体調悪化を看護師に相談すると「まず身体を調べましょう」と勧められ、近くの総合病院で精密な血液検査を受けました。しかし結果は異常なし。紹介状を持って訪ねた精神科でも「特に問題は見当たりませんね」と言われ、胸に残ったのは安心ではなく**“やっぱり甘えなんだ”**という自己嫌悪でした。

それでも症状は続き、看護師から心療内科を勧められたものの初診は2か月待ち。それまで耐えようと決めましたが、限界は想像より早く訪れます。ネットで探した別の心療内科に滑り込み、そこで初めてうつ病の診断を受けました。

1‑4 それでも踏みとどまった理由

ネットで「休職 デメリット」と検索しては、「社内評価が下がる」「退職金が減る」「キャリアが台無しになる」という言葉に怯えました。運良く入れた会社を手放す勇気は簡単には湧きませんでした。

1‑5 限界 最後の一押し

体と心は悲鳴を上げ続け、出社前に嗚咽が止まらない、職場についても 1 時間以上車から出られない、電話が鳴るだけで動悸がする――そんな状態まで悪化しました。

苦しむ私を見ていた彼女は、私にこう言います。

「休職するか、私たち別れるか、どっちかにして」

将来彼女を支えようと必死に耐えていたつもりが、逆に疲れさせてしまっていた――その事実が、私の頭のブレーキを外してくれました。家族や大切な人を犠牲にしてまで仕事を続ける選択肢は無い、と素直に思いました。

その後すぐに職場の看護師へ相談し、心療内科を受診。うつ病と診断され、休職に入りました。2021 年春の出来事です。


当時の心境と、今だから言えること

休職直後、私は「早く復職しなければ」「でもキャリアは終わった」と絶望していました。この喪失感は、休職に入ってからの方が強かったと思います。

しかし3年半経った今、当時の自分に伝えたいことが3つあります。

  1. キャリアは一本線ではない – 途切れたように見えても、休職期間で得た学びや人とのつながりは必ず次のステップに活きます。当時はそんなことを考える余裕はなく、とにかく”早く休養して復職しなくては”と焦っていました。焦らず自分のペースで、これからどうしていくかを考えながら休職期間を過ごすことが大切だと思います。
  2. 「助けて」と言うことは弱さではない – 「助けてほしい」「もう無理です」と素直に声を上げていれば、症状をここまで悪化させずに済んだはずです。まずは自分自身を守ってください。結局、最後に守れるのは自分しかいないし、会社は助けてはくれません。
  3. 大切な人を悲しませる働き方は長続きしない – 私は家族や恋人が笑っていられる状態こそ、自分が長く力を発揮できる土台になります。その状態は、まず自分自身を笑わせることが出来ていないと実現できないものだと感じました。

当時は視界が真っ暗で、これまで大切に抱えていたものを“手放す怖さ”しか見えていませんでした。けれど今は、「手放すことで得られる未来もある」 と声を大にして言えます。

自分にとって本当に大切なものは手放してはいけませんが、手放せずに苦しんでいるものがあるなら、それが本当に大切かどうかを考えてみてください。
私はそう考えることで、少し心が軽くなりました。


*次回は、休職直後からの体験を綴ります。

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